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『なれのはて』

とある事件がきっかけで、報道局からイベント事業部へ異動になった守谷もりや
畑違いの仕事にやる気も出ず、新しい部署で親しい人間関係を築く気もなく、給料のためだけにほどほどに働こうと思っていたが、年下の指導役・吾妻の企画の相談に乗るうちに、彼女が以前からずっと、祖母の遺品である一枚の絵を使って展覧会をしたいと考えていたことを知る。

しかし、絵の作者である<ISAMU INOMATA>はまったくの無名で、素性どころか生死さえわからない。

展覧会をするにはまず権利問題をクリアしなければならないため、守谷は吾妻とともに、<ISAMU INOMATA>について調べることに。

後輩に頼んで早速、秋田の地方新聞に「猪俣勇いのまたいさむ」という名前を見つけたものの、その記事の内容は1961年の元日に、勇の兄・すぐるが焼死体で発見され、傑と行動を共にしていたと思われる勇は、遺体発見前夜から行方不明になっているというものだった。

<ISAMU INOMATA>はこの記事の猪俣勇なのか?
そうであるならば、彼と彼の家族に一体何が起こったのか?
そして、行方不明とされている勇は今現在生きているのか?

と、いうのが物語の始まり。

勇について調べるにつれ、彼や彼の一族について少しずつ明らかになっていくわけですが…。

たった一枚の絵から、こんなにも重みと深みのある物語が展開されるとは……と、著者の着眼点や取材力、想像力、構成力に感服しました。

猪俣石油化学株式会社とか絵具のこととか、どこまでが本当なのか、何をモデルにしたのかと思って、読んだ後にネットで検索しちゃいましたもん。

そして、<ISAMU INOMATA>が何者なのか、という謎を追うのがおもしろいのはもちろん、著作権をめぐる考え方や、報道のあり方、戦争についてなど、何かと考えさせられる作品でもあります。

関係者が何か事件を起こした時、その人物が関わった作品を公開するのかしないのか、その作品に罪はあるのか、などという議論も、今なお頻繁に行われますよね。

たださらっと読んで終わることはできない、読んだ人の心に爪を立てる作品だなと思いました。

あと、直接戦争を知らない世代が戦争について書くことって、かなり勇気がいることなんじゃないかと思うんですよね。
加藤さんって何歳なんだろう、と思って調べたら、同じ歳でした。びっくり。

急に親近感がわくと同時に、忙しい芸能活動と並行して、ここまでのものを書き上げるのは、並々ならぬ体力と精神力が必要なのではと思ったり。それか、時間の使い方がものすごく上手なんでしょうか。
何にせよ、同い年の方がこんな風に頑張って、活躍されていると思ったら、私も頑張らなきゃなあと、作品外の部分でも勝手に勇気をもらいました。

少し脱線してしまいましたが。

何度も秋田に足を運び、関係者から話を聞き、少しずつ<ISAMU INOMATA>に近付いていく守谷たち。

ラストシーンはまるで一枚の絵のように美しく、その場面がありありと目に浮かびました。

次回の直木賞や本屋大賞に必ずノミネートされる作品だと思います。

加藤さんの小説を読むのは、『閃光スクランブル』、『オルタネート』以来の三作目だったんですが、どれも雰囲気が違って、今後またどのような物語を書かれるのか、とても楽しみになりました。

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